徳川将軍の東照宮への参拝路「日光御成街道」が通る鳩ケ谷・安行(はとがや・あんぎょう)。江戸時代のスーパーゼネコンともいえる伊奈氏がその本社兼技術センターである赤山陣屋を構えた地でもあり、赤山街道が関東平野の四方に延びていました。現在は首都圏の緑を支える園芸農家の集積地でもある自然豊かなエリアで、台地の縁には湧水も数多く見られます。見沼代用水東縁に沿った大宮台地の南東部の微妙な高低差を味わって「ロゲイン鳩ケ谷今昔物語」を楽しんでください。

鳩ケ谷・安行とは

【大宮台地の最南部!】

大宮台地の南端部である鳩ケ谷・安行地区。
台地下には自然のままの湧水があちこちに湧き出ています。
古の大河川の流路も明治地図でははっきりわかります。
そんな自然豊かな地のゆるやかな沢を巡ります。

(「大宮台地」といっても埼玉県民の地理ヲタクしか萌えない?)

 (VSA-itama-1710さん作成、Wikimedia Commonsから)

【日光御成街道】

将軍が日光参拝の際に通った日光御成街道(にっこうおなりかいどう)。
沿線には歴史ある社寺が立ち並んでいます。
長らく鉄道が通っていなかったので、鳩ケ谷宿の趣が残されています。


【植木の町「安行」】

安行(あんぎょう)は植木の町と知られ、園芸農家が数多くあり首都圏の緑の供給エリアとなってます。
埼玉県花と緑の振興センターやグリーンセンターなどの憩いの場所も魅力。
どこまでも続く植木畑に驚くかもしれません。


  【赤山陣屋】

江戸時代、関東郡代であった伊奈氏は関東平野の広大な幕府直轄領を支配。
赤山陣屋はその重要拠点であり、国元屋敷でした。その広さは2万4千坪(東京ドームほぼ2つ分)
戦のための拠点ではありませんが、新田開発や街道整備、治水など大規模土木工事の拠点であり、いわば赤山城。
ここから赤山街道と呼ばれる連絡路が四方に伸びていて、道しるべにその痕跡が残っていますし、土塁や空堀があちこちに残っています。 


 【見沼代用水】 

江戸を洪水から守るために利根川・荒川の流路変更という大工事を指揮したのが伊奈氏。
その工事の一環として農業用水としてため池「見沼溜井」を作りました。 
しかし、ため池の水だけでは足りず、見沼溜井を囲うように東西の淵に作られたのが見沼代用水です。
東縁の用水が鳩ケ谷の台地に沿って流れており、四季それぞれの風景を彩っています。

【見沼通船堀】

東西の見沼代用水から引いた農業用水の余った水を流し出したの真ん中の芝川(見沼中悪水)。船運のためにこの3つの川を結んだのが見沼通船堀。
しかし、3つの川の高さが違うため、パナマ運河のようにいくつもの水門で区切って高さ調整しました。パナマ運河開通の180年も前のことです。堀沿いには差配役の鈴木家の住宅が残っています。


 

0 件のコメント:

コメントを投稿